2009/05/05

Road to TIBET その一

はて、

始まりましたがこのブログ、どうなるのでしょうかね。まあBlog"TIBET ROOM"と銘打ったからにはチベットに関することを書いてゆくのだけれど、さて___。

とりあえず、TIBET ROOMが全ページ改装いたしましたことをご報告いたす。
今回かなり中身の薄さを誤摩化せたと自負?しています。それから今回の目玉は、なんと言っても当ブログです。いやアッチの方が…という声は聞こえません。黙らっしゃい!

てことで、最初に繋がるのだけど、えーっと、んーっと、あ、通りすがりさんもいるだろうから、取り敢えず私のチベット履歴めいたものに触れてみますかね。

初めてチベットを意識したのはいつの頃だろうか? ハッキリしたことは覚えてない。地図上の「茶色い」存在は小学生の時には既に知っていたし、中学か高校の教科書で「吐藩」という国名を知っても、それがチベットに結びつくことはなく、国境は単なる線でしかなかった。大学の卒業旅行に中国へ行くと決めるまではアジアにすら興味もなく、行きたいNo.1はロンドンとケニアであった。

そもそも中国へ行くと決めたのも、たまたまである。忘れもしないあの部屋のあそこで
「どこ行くの?」
「中国」
「あ、オレも中国」
みたいな会話で友人Sと一緒に行くことにしたのだが、うーん、なるほど、あの時のいい加減な嘘が始まりだったわけか。なんて主体性のない無責任な…。
とはいえ初めての異文化はやはり衝撃的だった。でも、アジアへの興味は渋谷ののっぽビルのビル風に揺れるおんぼろビルで仕事に忙殺される毎日にたちまち呑み込まれるのであった。
その頃だと記憶している。でも、もしかすると大学在学中だったかも…、ちと定かでないが、ある日TVでユキヒョウの特別番組を見た。絶滅に瀕したユキヒョウが唯一ブータンでは個体数を増やしているというので、さぞかし凄い山奥の小国なんだろう。だって「ぶーたん」だぜ。怪獣じゃないんだから。でも、仏教の不殺生がユキヒョウ保護になっていると知り、ブータンが行きたい国No.1になった。そしてその時に流れた僧侶の映像がとても印象的で、それが最初のチベットとの接点であった。でも、興味の矛先はあくまでブータンとユキヒョウであり、チベットではなかった。
そして年が明けて運命の89年。チベットにとっても運命の年だが、日本も1月に天皇崩御で昭和が終わり、中国では6月に天安門事件が起こり、とにかく凄い年、私は仕事から発作的に逃げ出した。
そして旅行記の第一章に繋がるんだけど、この続きはまた今度。

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