2010/02/13

私がチベットへ行くとしたら_プロローグ(続き)

ホンマにシリーズ物にできるんかな?
のっけから己の飽きっぽさを不安がってるけど、たまには頑張ることをしないと精神がメタボになる。頑張ろ。

前回のおさらいから___
個人では自由旅行は不可能と思い込んでいた憧れのチベットに行けると知り、急遽チベットへ。カイラスにも行き、そしてダラムサラを経てマジュヌカティラまで来た。

そして中国ビザをとって再びネパールへ。しかし、ポカラで虹色の夢を満喫し、カトマンで何故か筒井康隆にはまり、皆が頭を悩ます中国ビザをみすみす期限切れさせるという実に優雅な時を過ごす。しょうがないのでバンコクついでのコ・パンガン、香港、大理、麗江、成都と大回り。自分でもなにやってんだろうと思いながら、カトマンのイミグレとバンコク空港で当たり前のようにオーバーステイの罰金を払ったのは、まあご愛嬌。
で___

1994年9月_二度目のチベット。
今度は飛行機。鳥葬、露天風呂、ガンデン、サキャ、ギャンツェなど充実した観光ができた。既にインド時間の染み付いた怠け者が行動できたのは、全て一緒にいた日本の若者たちの機動力のおかげです。有り難いこってす。詳しくは旅行記に。

さて、元々の怠け癖が開花してしまったのか、だらだらと楽しい時間がながれて年末に一度帰国。相変わらずだらだら過ごし、金銭感覚というか常識まで失ったニート時代へ行く前に、

1995年6月_三度目のチベット。
今度は再びネパールから陸路でラサ往復。予算不足のうえ、「西蔵自治区30周年」ということで何かと窮屈な情報ばかりで苛々の募る旅行だった。それでも意図したわけでなく、シャカダワのラサを体験できた。これも詳しくは旅行記に。

以上、これが私のチベット体験だけど、この通り私のベースはバックパッカーです。ただ、いろいろと大人な事情もあって、おいそれと家を空けるわけにもいかなくなったまで。でなきゃネットでちまちまやってないで、とっとと日本を出ちゃってます。実際、去年の秋までは本気でカイラスへ行くつもりでいた。本当は一昨年の春のつもりで仕事も辞めたのに、北京オリンピックのせいでこんなことに。勿論オヤジの手術とか色々あったけど、それにしてもねえ…溜息。。。

というわけで、そんなオッサンが実際に行くとなれば、せいぜい長くても一ヶ月が限度という状況(それすらも働きだせば難しくなる;;)のなかで、行くとなったら何をどうすればいいのかを考え、夢を膨らませていこうと思います。全くの始めてじゃないので、いつかチベットに行きたい(あるいは予定がある)方にも参考にはなると思います。


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