2010/02/19

「囚われのチベットの少女」(HABU'sBLoGより再掲)

タイトルにあるように、HABU's BLoGからの転載です。
しょうじき感情が抑えきれず、読み返してみるとまとまりきってないので、本当は書き直すつもりだったけど、どうもうまく書けないのでそのまま流用することにしました。

Amazon.co.jp: 囚われのチベットの少女: フィリップ ブルサール, ダニエル ラン, 今枝 由郎


返却期限過ぎていたのをすっかり忘れていた「囚われのチベットの少女」の読み残しを一気に読んだ。
本の感想はここではさらっと流しますが、「雪の下の炎」よりも怒りの成分が多かったです。もし二年前に読んでいたら本当に冷静ではいられなかったでしょう。
チベットに関心のない人は「ああチベットものね」でスルーするかもしれませんが、この本はチベットに関心のない人にもぜひ読んでみて欲しい一冊です。
表現は大人しいです。人によっては物足りなく感じるかもしれません。でも、描かれている現実は凄惨そのものです。

いま世界の趨勢は暴力の応酬に暴走し、力に対応するには力しかない、あるいは平和になったから力は正義だ、平和主義者の話を聞いていたらテロリストにやられるだけだ、と。まるでテロリストは生まれながらテロリストであるかのように。勝てば官軍などと平気で言ってのける者もいる。
けれど、本当にそうか?
それで問題が解決したと言えるのか?
それが本当なら何故この世から戦争が無くならない。
人は不満を抱く。
だから紛争や争いごとが起る。それを拡大すれば戦争といってもいい。
では、なぜ人は不満を抱いた。
なぜ権力に反抗する?
時に命を賭してまで。

なぜ?

暴力によって齎された平和は人を幸せになどできない。
1993年から95年にかけて私が旅したチベットは、平和そのものだった。確かに不穏な噂や話が耳に届き、社会的な歪みや理不尽さも感じたけれど、政治的な不安定を直接垣間みることはなかった。
でも、現実は、そんな暢気な日本人のすぐ近くで鳥葬よりも衝撃的な出来事が日常的に行われていたのである。
見せかけの平和は中国当局の自信を増長させただけで、一昨年の3月に破綻した。
チベットだけではない。ビルマでも僧侶が先頭に立って大規模なデモが発生した。中国内でも昨夏のウルムチは記憶に古くはないはず。パレスチナもしかり。どれもこれも圧倒的な強者が力でねじ伏せてきた結果である。そして抵抗の動きに対してもまた同じ力ずくの屈服。その結果残るのは緊張と憎悪である。
押さえつけられた者たちも、力で対抗したところでジリ貧になるだけ。
けっきょく力の応酬は後戻りがどんどん難しくなる袋小路に突っ込むようなものだ。
米国はベトナムで自ら仕掛けた地雷を踏んでしまい、旧ソ連もアフガニスタンで同じく手痛い教訓を得た___筈なのに、ほぼ旧ソのロシアはコーカサスで、米国は湾岸で、再び同じ轍を踏み、さらに米国はアフガニスタンで自分だけでなく旧ソの撒いた種の後始末までしなければならなくなっている。ちなみに反米勢力の結束力を強めたのは、皮肉にも米国が大々的にPRした一つのキャッチフレーズと一人のシンボルである。更に一つだけ付け加えておくなら、テロはイスラム過激派の専売特許ではないし、イスラム教徒というだけで危険視するのは無知にもほどがある。

さて、眼をもう一度チベットに向けると、中国政府も米国や旧ソ、ロシアと同じ轍を思いっきり踏んでいる。
ただ違うのは、現場が実効支配の域内であることと、チベット人の抗議運動が非暴力に根ざしていることである。

非暴力___言うは易しである。ダライラマ法王が弟子だと公言するガンディーですら非暴力の運動に辿り着くまでにそれなりの年月を要した。
それを10代の少女が、それも監獄の中で、命がけで貫き通したのである。

私はチベット問題を押し付けるつもりはない。
ただ、知って欲しい。

ちょっと時間が遅くなったのと、言葉が続かなくなってしまったので、この辺にしておきますが、最後に、彼女はいま米国で暮らしています。
2002年に釈放されたものの今なお収監中の後遺症に苦しみ、それでも「International Canpaing for Tibet」で人権アナリストとして活動しているそうです。(参考→http://d.hatena.ne.jp/tibetnews/


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